私の住んでいる東京はいまだにとんでもなく寒い日もありますが、日がだんだんと長くなり、日中は何となく春の気配を感じる日もあります。先日、お隣の梅の木に緑色の小さな鳥が止まっているのを発見、ウグイスかしら?でもピョロピョロと鳴いているので違うのかな?ホーホケキョの前のトレーニング?facebookに出そう、まずは写真、写真とカメラに収めました。「梅にウグイス」何と春らしいショット、と思いつつ、念のためにウグイスかどうか調べてみました。
ウグイスと見かけがよく似ているのがメジロです。きれいな抹茶のような緑色をしているのがメジロ、ウグイスはもっと灰緑がかった茶色です。「ウグイス色」とよく言いますが、たぶん多くの人がメジロ色をさして言っていると思います。春のイメージからすると断然メジロの色なのですけれどね。
あともうひとつの大きな違いはメジロの目のまわりが白く、名前通りメジロなのですが、目がぱっちりと見えます。比べるとウグイスはきわめて地味な鳥ということになります。「梅にウグイス」という画像を見ても結構メジロが堂々と 写っているので注意してご覧になってみてください。
よく「梅に鶯」という言葉があり、和歌や絵画に取り上げられるテーマとなっています。これは成句で取り合わせが良い二つのもの、美しく調和するもの、というたとえの言葉だそうです。梅にウグイスが止まっていることを指して言うのではないようです。たしかに凛と咲く梅の花を見ると春の訪れを感じますし、ウグイスのホーホケキョの鳴き声は春告鳥と言われるだけあってのどやかな気分にさせてくれます。まさに早春にふさわしい組み合わせと思います。
先日、知人が花札の「梅に鶯」をfacebookに取り上げていましたが、結構鮮やかな緑色なので「ウグイスにメジロ説」も昔からあるようですが、デザインとしてデフォルメしたのだろうという説もあります。花札のウグイスは目のまわりが白くはないのでメジロではないと私は思います。ただ、花札のせいであの色をウグイス色と思いこんだ人が多いのではないでしょうか。
江戸時代は「ウグイス」は葬式をさした隠語だったそうです。その心は「鳴き鳴き梅に行く」⇒「泣き泣き埋めに行く」なかなか高等な言葉感覚です。また、江戸時代からウグイスの糞は和服のしみ抜きに使われていたそうです。
ウグイスと見かけがよく似ているのがメジロです。きれいな抹茶のような緑色をしているのがメジロ、ウグイスはもっと灰緑がかった茶色です。「ウグイス色」とよく言いますが、たぶん多くの人がメジロ色をさして言っていると思います。春のイメージからすると断然メジロの色なのですけれどね。
あともうひとつの大きな違いはメジロの目のまわりが白く、名前通りメジロなのですが、目がぱっちりと見えます。比べるとウグイスはきわめて地味な鳥ということになります。「梅にウグイス」という画像を見ても結構メジロが堂々と 写っているので注意してご覧になってみてください。
よく「梅に鶯」という言葉があり、和歌や絵画に取り上げられるテーマとなっています。これは成句で取り合わせが良い二つのもの、美しく調和するもの、というたとえの言葉だそうです。梅にウグイスが止まっていることを指して言うのではないようです。たしかに凛と咲く梅の花を見ると春の訪れを感じますし、ウグイスのホーホケキョの鳴き声は春告鳥と言われるだけあってのどやかな気分にさせてくれます。まさに早春にふさわしい組み合わせと思います。
先日、知人が花札の「梅に鶯」をfacebookに取り上げていましたが、結構鮮やかな緑色なので「ウグイスにメジロ説」も昔からあるようですが、デザインとしてデフォルメしたのだろうという説もあります。花札のウグイスは目のまわりが白くはないのでメジロではないと私は思います。ただ、花札のせいであの色をウグイス色と思いこんだ人が多いのではないでしょうか。
江戸時代は「ウグイス」は葬式をさした隠語だったそうです。その心は「鳴き鳴き梅に行く」⇒「泣き泣き埋めに行く」なかなか高等な言葉感覚です。また、江戸時代からウグイスの糞は和服のしみ抜きに使われていたそうです。