「ほんやら堂」のある暮らし

ほんやら堂の外部アドバイザーのYOKOさんは公私にわたってほんやら堂が大好き。 ほんやら堂の商品やそれにかかわる人々などをつづります。

2010年05月

もうすぐ5月も終わりです

今年の東京は春らしい日が少なく、早春と初夏の間をお天気が行ったり来たりしているような気がします。
もう5月も終わりというのにこの寒さ。火山の噴火や地震など天災地変も多く、地球が壊れかかっているのでないと良いのですが。

「5月病」という言葉もいつの間にか定着しましたが、4月に生活環境の変わられた方がたはいかがお過ごしでしょうか?意地悪なお天気と口蹄疫、沖縄とニュースももりだくさんで病気になる暇がないかも知れませんね。

私の自宅はリフォームの真っ最中。室内工事なので晴雨は関係ありませんが、古い家だけに1週間の予定が半月ほどに延びました。工事の始まる前から物置の中の整理などを始めましたが、「大掃除」の連続で筋肉痛の毎日です。

実はここ10年で4度目のリフォーム(もちろん違う場所をリフォーム)しているのですが、毎回反省させられるのは「物をためすぎ」。元来ケチでもったいないから捨てられないのとお買いもの好きで物がふえるという悪循環です。長らく使っていないと「持っていることすら忘れる」、こんなのあったから使おうと思った頃には「劣化している」というあんばいです。思い出の品、資産価値のあるもの以外は「いつか使うだろう」と思ってやたらストックしておくのは絶対良くないと思います。結局は捨てることになるんですね。

あとは家具を買う時はよく考えて買うこと。新築、引っ越しはもちろんですが、リフォームをしたり、レイアウトを変更すると必ず不要だったり、似合わない家具が出てきます。大きいものだけに適切な置き場所がないと本当に困ります。

洋服も思いきって捨てました。Tシャツなどははさみで切って雑巾にします。使い捨てできるので便利ですよ。

リフォームのたびに物が整理でき、ライフスタイルを見直す良いチャンスとなります。新しい空間で6月を迎える予定でしたが、もうしばらく工事は続きそうです。

6月に入るとほんやら堂の秋冬のプライベートショーです。どんな新製品が出るのか楽しみです。

母娘で支えるビジネス

母の日にちなみ、フィリピンで出会った素敵な母娘たちの話を書こうと思います。

1社はアクセサリーの会社で日本人好みのグレイッシュな色の商品をたくさん出しています。フィリピンのメーカーでは珍しいことです。中国系の良妻賢母型のお母様が社長でありデザイナーです。お嬢さんはニューヨークのファッション工科大学を卒業した小柄な才媛で、フィギュアスケートの村主章枝選手に似ています。日本なら娘が生意気にいばっている所でしょうが、母親が商談する傍らで商品を出したり、しまったりしながら無言で黙々と手伝っている姿が素敵でした。

もう1社はいろいろな素材を編むことでバッグや家具を作っているメーカー。今の会長は上品で腰の低い女性ですが、そのお母様から事業を継承し、日本のグッドデザイン賞も受賞した経験があります。日本の著名ファッション・デザイナーもこの工場に発注しているそうです。この会長にも娘がおり、米国三大ネットワークでディレクターをしていたのが事業を継ぐために戻って来たと大自慢。こちらのお嬢さんも活発で完全なアメリカ英語を話す人ですが、始終母親を気遣ってかいがいしく働いていました。

このふたつの家族に共通して言えるのは子どもたちが世界のどこでも通用する能力を持ちながら、家業(フィリピンの中小企業です)を喜んで継いでいること、そして母親をビジネスやデザイナーの先輩として尊敬すると同時に老親としていたわっていることです。日本の後継者不足とは大きな違いです。

私の実家は貿易商で小さな製紙会社もやっていました。私を将来社長にするのが祖母の夢で日々いろいろな事を教わりましたが、祖母は私が10歳のときに亡くなり、会社も12歳のときに倒産しました。私が自分の会社を作ったのは46歳になっていましたが、原爆症で早くこの世を去らざるを得なかった祖母の夢をかなえてあげるというつもりもありました。家業ほど大きくはありませんが、「ゼロから会社を作ったのだから誉めてよ、おばあちゃん。」と時々仏壇に向かって言っております。

自分の境遇は特殊だと思ってきたのですが、仕事を女性から女性へと伝えていくのはごく自然な姿だとフィリピンの家族たちを見てそう思いました。
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