「ほんやら堂」のある暮らし

ほんやら堂の外部アドバイザーのYOKOさんは公私にわたってほんやら堂が大好き。 ほんやら堂の商品やそれにかかわる人々などをつづります。

2014年06月

日本のお中元

明日から7月、お中元の配送も本格始動に入ります。ふだん気軽に「お中元」と呼んでいるものの語源をご存じの方は少ないと思います。

中元は道教に由来する1年を3つに区切った三元のひとつで地官大帝(あるいは赦罪大帝)の誕生日で、さまざまな罪が許される贖罪の行事が催されます。地官大帝は地獄の帝でもあり、死者の罪が赦されるよう願う行事もあるそうです。中国仏教では、この日に祖霊を供養する盂蘭盆会を催すようになりました。仏弟子の目連が毎年、亡母を供養した日とされますが原始仏教では祖霊供養の習慣はなく、あくまでも中国で生まれた創作話です。インド仏教には盂蘭盆という用語はありますが、年中行事とは関係がない哲学的概念で行事としての盂蘭盆会は中国で中元と一体化したのです。日本では盂蘭盆会は神道と合体、お盆の行事となり、江戸時代には盆供(先祖への供物)と共に商い先や世話になった人に贈り物をするようになり、この習慣を中元と呼ぶようになりました。

さて、お中元に関する統計を見てみると

1.お中元選定にかかわったのは20代では男女ともに6割前後となのに対し、60歳以上では男性5割、女性9割となります。年を重ねるとともにお中元は女性(特に主婦)の仕事となるのでしょうか。

2.贈った相手で最も多いのが自分や配偶者の「親」で52.3%。お中元やお歳暮というのはフォーマル・ギフトなので私自身は贈る相手が「親」というのは他人行儀な気がします。誕生日とか父の日、母の日などもっとプライベートなギフトは贈らないのでしょうか。親と同居している場合は中元は贈らないと思うので親にお中元というのはどうも距離感を感じます。

3.平均価格帯は2000円から5000円未満。注文するのは1週間から1ケ月前。

4.参考にしたインターネット情報のトップが「インターネットショッピングモール」次いで「贈答専用サイト・お中元やギフトの特設サイト」。こだわりの逸品を探すには豊富な選択肢のあるインターネットショッピングモールが便利ですし、包装紙のブランドにこだわる人は百貨店のお中元サイトを利用すればわざわざ店舗へ出向かなくてもすみます。

5.インターネットを利用する際のデバイスはデスクトップかノートパソコンという回答が88.2%。スマホでは商品の比較検討がしにくいし、腰をすえて一気にやろうという意気込みが感じられます。

お中元に迷ったら「ほんやら堂のギフトのお店」
http://www.honyaradoh.jp/ ものぞいてみてください。癒しと健康をテーマとしたグッズがいっぱいです。








戦争の傷痕

6月の上旬から9日ほどミャンマーとカンボジアに出張しました。この2国はアセアン諸国の中でも国の事情により経済発展が遅れており今後に期待が寄せられています。ミャンマーの事情は軍事政権により長らく鎖国状態が続き1昨年の米国の経済制裁が解除された事により一気に世界中の関心を集めています。

カンボジアほうははるかに複雑で9世紀から15世紀はアンコールワットに代表されるようなクメール朝の時代、1863-1953年はフランスの統治下、独立後、ポルポトによる虐殺で200万人が死んだとも言われ、1991年に内戦が終結、1993年に初めての直接選挙が行われました。

戦後20年を経た今も事業収益を孤児や障がい者、未亡人、農村といった貧しい人びとをサポートするための団体が数多く見受けられます。多くの国家、ボランティア団体が支援事業を展開しています。

孤児については多くが30-40代になっていますが教育が不足しており中間管理職不足につながっています。
障がい者の原因は病気や事故もありますが、地雷によるものが多いのも特徴です。孤児や障がい者をサポートするハンディクラフトの工房では数十名いるスタッフが全員孤児であったり障がい者です。そういう工房が数えきれないほどあり、日本では想像もつかない光景です。
孤児同様未亡人も社会福祉が充実していない国では生活が大変です。
農村は途上国はいずこも同じですが首都や大都市との格差が大きいです。たとえば首都プノンペンではほとんどの人が大学に進学できますが、地方には大学すらありません。

プノンペン郊外の工場へ視察に行った帰りの事です。前日豪雨が降ったせいで舗装していない道はぬかるみでした。一斉に運転手たちがクメール語で罵声を浴びせ始めたので通訳の女性(王立プノンペン大学の日本語学科長です)にどうしたのかと聞くと「こんな道路にお金を払うのはひどい」と怒鳴っているのだそうです。よく見ると立派な料金所があり、一車線ほど舗装工事が始まったかな?という部分がありましたが、どこの国と比較しても「有料道路」どころか「ぼったくり詐欺」に近い状態です。

戦争がいかに人間の心身を荒廃させ、道路を作るのもままならなくさせるかの証拠で非常に胸が痛かったです。

王立プノンペン大学には日本語を学ぶ学生が380人おり、8割は日本関係の仕事に就き、残り2割は家業を継ぐそうです。カンボジア人にとって日本語をマスターすることは非常に大変ですが前述の日本語学科長の「戦争はいけない、勝っても負けても失うものが大きい。元に戻るまで長い年月がかかります。学生たちには平和のありがたさ、自分の能力で生き残ることを教えています。」という言葉が大変印象に残りました。

先生のご主人は軍人ですが、軍人は国威発揚のために戦争をしたがると言います。海外からの投資で手っ取り早く経済成長を遂げることは可能ですが、やはり人材の育成には時間がかかります。新興国と呼ばれる国々もやはり人の質の問題がいろいろあります。そのフラストレーションが軍事行動につながったりもする気がします。
そこで本当に戦争が起これば元の木阿弥、自滅への道をたどります。

平和な日本では「戦争」が概念化してしまいがちですが、戦争の傷痕の残る国へ行き改めて平和のありがたさをひしひしと感じました。
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