「ほんやら堂」のある暮らし

ほんやら堂の外部アドバイザーのYOKOさんは公私にわたってほんやら堂が大好き。 ほんやら堂の商品やそれにかかわる人々などをつづります。

2014年03月

桜 2014

東京は桜が満開です。2月に大雪に2度も見舞われ今年の桜は遅いと思っていましたが、先週の火曜日に突然開花宣言、例年より早い桜となりました。

私の住んでいる所は桜の古木が多いです。電線をはるかに超える桜の古木が何本もあるお宅や武蔵野のおもかげを残す川べりにはいろいろな種類の桜が植わっており、どこへ行っても桜が咲いています。桜のみならず、公園には赤やら淡い色のボケ、鮮やかな黄色のシナレンギョウ、白くて大きなモクレンの花、赤やピンクの椿の花、ボランティアのグループが手入れしてくれているパンジーなどの花壇、と墨絵のような冬色の景色から一気に彩あふれる春の景色に変わる時です。普段はあまり感じませんが、国際的な大都市でありながら自然に囲まれて生活できるありがたさをつくづく感じます。

今年テレビで覚えた言葉があります。「花起こしの雨」。桜が咲く直前に降る暖かな雨のことです。実は土曜日は思うほど花が咲いておらず、日曜日は雨かつ時々強い風が吹いていました。でも一気に満開になり、まさに花起こしの雨のような気がしました。

もうひとつはfacebookの友達に教えてもらったのですが「花養天」(かようてん)という言葉です。実は曇りのことで花曇り、おかげで桜を散らさずに保つことができます。桜の頃の東京は雨が降ったり、風が強かったりと私たちをハラハラドキドキさせてくれます。あっけなく散るのも寂しいものですが、ずっと咲いているのもなんだか興ざめのような気がします。

「花曇り朧(おぼろ)につづく夕べかな」与謝蕪村。おぼろげな人生と人生の夕べを掛けた句です。

日本に桜ソングはあまたありますが、最後にひとつ、インドネシアで日本語を学ぶ学生たちが作った「桜よ」という歌の一節をご紹介します。

「桜よ 咲き誇れ 日本の真ん中で咲き誇れ
日本よ咲き誇れ 世界の真ん中で咲き誇れ
私よ咲き誇れ この道の真ん中で咲き誇れ」
東日本大震災の後もインドネシアから500人の学生たちによる大合唱の動画がYou TubeにUPされましたが、元気をもらえます。

節目の春、みなさんも咲き誇ってください。

春の花を求めて

3月11日であの東日本大震災から丸3年、いまだに26万人もの方々が避難生活を余儀なくされている事実は災害の大きさを再認識すると同時にほんとうにもどかしく思います。TVで被災者の方が「復興は遅く、風化は早い」とおっしゃっていましたが、被災地での被害の格差、あるいは被災地以外でも間接的に被害をこうむった地域や産業がある事を思うと復興や補償もなかなか簡単な作業ではないのでしょう。

さて、春の花と言えばサクラですが、今年の東京都心部の開花予想は3/31ごろで例年より6日ほど遅くなりそうです。全国のサクラの開花予想がニュースになる国も珍しいと思いますが、この開花予想ニュースそのものが春の訪れのサインでもあり、皆胸がわくわくするものです。経済大国、技術大国である日本にも風流な一面がちゃんと残っている事を教えてくれます。

今はウメの花が満開です。実は奈良時代以前は花見と言えばウメの花でサクラに変わったのは平安時代以降だそうです。

「桜伐る馬鹿、梅伐らぬ馬鹿」とよく言われますが、ウメの木はかなり切り詰めないと枝がすぐ伸びて恰好が悪く実の付き方も悪い、一方、サクラはむやみに切ると切り口から腐敗しがち、という剪定上の注意です。たしかにサクラは花が落ちて葉だけになっても美しいシルエットを保っているのに対し、ウメは枝葉がぼうぼうに生い茂ります。夏場の日除けにはなりますが手入れを怠った庭であるかのように見えます。

「桃栗三年、柿八年、柚子の馬鹿野郎十八年、梅はすいすい十六年」ということわざもあります。これは植えてから実の収穫までにかかる年数と言われていますが、これは栽培上のアドバイスではなく、何事も簡単にうまくいくわけではなく、一人前になるには地道な努力と忍耐が必要、というたとえだそうです。

今日はミツマタの花が咲いているのを発見。あの和紙の原料でもあるミツマタです。初めて見たので調べてみました。小さな白と淡い黄色の花が集まってボールのような大きな花を形成します。枝の先が三つに分かれているのでミツマタ。沈丁花の仲間だそうです。たしかに花の付き方は沈丁花に似ています。この淡くてやさしい色合いがいかにも春の訪れのように思えました。

忙しい季節、また天候不順な時期でもありますが、公園や花屋の店先で春の花を探してみてはいかがでしょうか。癒されます。





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