6月の上旬から9日ほどミャンマーとカンボジアに出張しました。この2国はアセアン諸国の中でも国の事情により経済発展が遅れており今後に期待が寄せられています。ミャンマーの事情は軍事政権により長らく鎖国状態が続き1昨年の米国の経済制裁が解除された事により一気に世界中の関心を集めています。

カンボジアほうははるかに複雑で9世紀から15世紀はアンコールワットに代表されるようなクメール朝の時代、1863-1953年はフランスの統治下、独立後、ポルポトによる虐殺で200万人が死んだとも言われ、1991年に内戦が終結、1993年に初めての直接選挙が行われました。

戦後20年を経た今も事業収益を孤児や障がい者、未亡人、農村といった貧しい人びとをサポートするための団体が数多く見受けられます。多くの国家、ボランティア団体が支援事業を展開しています。

孤児については多くが30-40代になっていますが教育が不足しており中間管理職不足につながっています。
障がい者の原因は病気や事故もありますが、地雷によるものが多いのも特徴です。孤児や障がい者をサポートするハンディクラフトの工房では数十名いるスタッフが全員孤児であったり障がい者です。そういう工房が数えきれないほどあり、日本では想像もつかない光景です。
孤児同様未亡人も社会福祉が充実していない国では生活が大変です。
農村は途上国はいずこも同じですが首都や大都市との格差が大きいです。たとえば首都プノンペンではほとんどの人が大学に進学できますが、地方には大学すらありません。

プノンペン郊外の工場へ視察に行った帰りの事です。前日豪雨が降ったせいで舗装していない道はぬかるみでした。一斉に運転手たちがクメール語で罵声を浴びせ始めたので通訳の女性(王立プノンペン大学の日本語学科長です)にどうしたのかと聞くと「こんな道路にお金を払うのはひどい」と怒鳴っているのだそうです。よく見ると立派な料金所があり、一車線ほど舗装工事が始まったかな?という部分がありましたが、どこの国と比較しても「有料道路」どころか「ぼったくり詐欺」に近い状態です。

戦争がいかに人間の心身を荒廃させ、道路を作るのもままならなくさせるかの証拠で非常に胸が痛かったです。

王立プノンペン大学には日本語を学ぶ学生が380人おり、8割は日本関係の仕事に就き、残り2割は家業を継ぐそうです。カンボジア人にとって日本語をマスターすることは非常に大変ですが前述の日本語学科長の「戦争はいけない、勝っても負けても失うものが大きい。元に戻るまで長い年月がかかります。学生たちには平和のありがたさ、自分の能力で生き残ることを教えています。」という言葉が大変印象に残りました。

先生のご主人は軍人ですが、軍人は国威発揚のために戦争をしたがると言います。海外からの投資で手っ取り早く経済成長を遂げることは可能ですが、やはり人材の育成には時間がかかります。新興国と呼ばれる国々もやはり人の質の問題がいろいろあります。そのフラストレーションが軍事行動につながったりもする気がします。
そこで本当に戦争が起これば元の木阿弥、自滅への道をたどります。

平和な日本では「戦争」が概念化してしまいがちですが、戦争の傷痕の残る国へ行き改めて平和のありがたさをひしひしと感じました。