母の日にちなみ、フィリピンで出会った素敵な母娘たちの話を書こうと思います。

1社はアクセサリーの会社で日本人好みのグレイッシュな色の商品をたくさん出しています。フィリピンのメーカーでは珍しいことです。中国系の良妻賢母型のお母様が社長でありデザイナーです。お嬢さんはニューヨークのファッション工科大学を卒業した小柄な才媛で、フィギュアスケートの村主章枝選手に似ています。日本なら娘が生意気にいばっている所でしょうが、母親が商談する傍らで商品を出したり、しまったりしながら無言で黙々と手伝っている姿が素敵でした。

もう1社はいろいろな素材を編むことでバッグや家具を作っているメーカー。今の会長は上品で腰の低い女性ですが、そのお母様から事業を継承し、日本のグッドデザイン賞も受賞した経験があります。日本の著名ファッション・デザイナーもこの工場に発注しているそうです。この会長にも娘がおり、米国三大ネットワークでディレクターをしていたのが事業を継ぐために戻って来たと大自慢。こちらのお嬢さんも活発で完全なアメリカ英語を話す人ですが、始終母親を気遣ってかいがいしく働いていました。

このふたつの家族に共通して言えるのは子どもたちが世界のどこでも通用する能力を持ちながら、家業(フィリピンの中小企業です)を喜んで継いでいること、そして母親をビジネスやデザイナーの先輩として尊敬すると同時に老親としていたわっていることです。日本の後継者不足とは大きな違いです。

私の実家は貿易商で小さな製紙会社もやっていました。私を将来社長にするのが祖母の夢で日々いろいろな事を教わりましたが、祖母は私が10歳のときに亡くなり、会社も12歳のときに倒産しました。私が自分の会社を作ったのは46歳になっていましたが、原爆症で早くこの世を去らざるを得なかった祖母の夢をかなえてあげるというつもりもありました。家業ほど大きくはありませんが、「ゼロから会社を作ったのだから誉めてよ、おばあちゃん。」と時々仏壇に向かって言っております。

自分の境遇は特殊だと思ってきたのですが、仕事を女性から女性へと伝えていくのはごく自然な姿だとフィリピンの家族たちを見てそう思いました。