あの船場吉兆がとうとう廃業することになりました。
社長というか女将がカンニングペーパーを読みながら「私が悪かった」と記者会見をしていましたが、前社長だったご主人やつい最近まで取締役だった息子さんは隠れたままで良いのだろうか、と疑問を持ちました。お客様に対しては女将が店の顔であると同時に創業者の娘であるという責任感なのか、家族を守りたいという気持ちもあったのか、高齢の女性が表に出れば世間の風当たりも少しは弱まると計算したのか。

実は吉兆では嫌な思い出があります。大阪に住む母の同級生を母と一緒に訪れたとき、母の同級生が梅田の吉兆でお弁当をご馳走してくれました。一人5千円ちょっとのものですから、吉兆では最低の部類。記念にと思い写真を撮ろうとしたところ、仲居さんが血相を変えて飛んできてお料理の撮影は禁止だと高圧的に制しました。このくらいの老舗ならもっと上品なお断りがあっても良いのではないかと腹が立ち、以来吉兆には行かないことにしました。そもそもこのお弁当の盛り付けにしても写真に撮られて真似されるほどの優れたノウハウはありません。

当時私は会社員で赤坂に勤務していましたので、料亭、料亭向けの仕出屋、割烹など夜一人何万円もするお料理が昼は1500円くらいでお弁当や定食の形で味わえました。その舌からしても吉兆のお弁当は高すぎると感じました。時を経ていろいろな問題が明るみに出るにつれ、要は「ブランド」料だけで商売をしていたのだとわかりました。

食の老舗、名店というものは独特の技術やサービスを提供しているのだからやたら店舗数を広げられるものではないと思います。居酒屋やファミレス、ファーストフードのチェーンとはそこが違うところです。今回の事件で本吉兆だの船場吉兆だのと暖簾分けされた店がそれぞれ会社化され別経営者になっていることが広く知らされましたが、消費者にはまったく関係もなく、こんな形態にした時点で本来の吉兆はもうなくなったに違いありません。

確かに企業として大きくなることは雇用をふやし、納税額という面からも社会的貢献度は高くなります。しかしながら、基本は顧客あっての企業です。顧客に誠意を尽くし感謝される企業になること、その企業の持つ本来の意義を忘れない、私も零細企業の経営者として強く決意しました。